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FEATURE

子供のなかで「正解」が生まれる前に──現代美術作家・平子雄一が語る、アートが育む「自由な心」

いちおし!

「アートは素晴らしい」「アートは難しい」。多くの人にとって、アートという存在は曖昧なものです。それでも人間がアートを必要とし続けるのはなぜなのでしょうか?

現代美術作家の平子雄一さんは、「目的のないもの、よくわからないものを見ることで、自由な心を育てることができる」と語ります。

東京ミッドタウン日比谷ホールのこけら落としとして、平子さんの展覧会『HUMAN AND NATURE』が9月5日(土)〜10月18日(日)に開催されます。「人のような身体に植物の頭部を持つモチーフ」というユーモラスな作風で知られる平子さんに、この大規模展覧会に込めた思いとともに、子供が「自由な心」を持ってアートを楽しむことの大切さや、保護者が子供と一緒に芸術文化を楽しむためのコツを伺いました。

「わけのわからないもの」としての自然とどう共存できるか

『HUMAN AND NATURE』は、どのようなテーマの展覧会なのでしょうか?

タイトルのとおり、僕は「人と自然」の関係、あるいは「人がつくる社会と自然」の関係をずっとテーマにしてきました。そして、「人と自然」は、「人と人」のようには一緒に暮らせないと思っています。違う生き物で、生きる環境も違いますからね。それでも、人は、自然とともにある時間をどこかで求めていて、その理想と現実の間で揺れ動いてきた。今回の展覧会では、訪れた人が「人と自然はどのようにともにあれるか」ということについて、何か一つでも考えるきっかけを持ち帰ってくれたら、と思っています。

展覧会では初公開となる新シリーズを含む300点あまりの作品と、約3.5mものモビール群など大型インスタレーションを楽しむことができます。

そもそもなぜ、「人と自然」というテーマに関心を持つようになったのですか?

もともと僕は岡山の生まれで、子供の頃は田畑や藪の中で遊び回っていました。人と接するより自然と接する時間が長かったことで、植物との間に精神的な繋がりのようなものを築いていた気がします。ところが、ロンドン留学時代に初めて都市に暮らすようになると、公園で人が「自然っていいよね」と語り合っている。自分にとっての「自然」とはまったく違うものが「自然」ととらえられていることに気づいたのが出発点でした。

たしかに都市では人に管理された木や草花も自然と呼びますね。平子さんにとっての自然はどんなものですか?

僕にとって自然は、基本的にはわけのわからないもの、理解を超えたものだと思っています。子供の頃から自然のなかで遊び共に過ごしてきましたが、家の中で生活を共にすることは決してできないものであるという認識も一方では持っていました。心の繋がりを感じることはあっても、本質的に異なるものだという意識が常にあります。

「見る」だけでなく「歩いて楽しむ」展覧会

今回は東京ミッドタウン日比谷という都会の真ん中での展示となりますね。

そうですね。昼間はたくさんの人でにぎわう大都市のビジネス街。でも、すぐ隣には120年以上にわたって都市の中の自然として愛されてきた日比谷公園があります。都市と自然が隣り合う境目のような場所に展示された僕の作品の中に、訪れた方々が何を見出してくれるのか、僕自身とても楽しみです。

平子さんのスタジオにて。『HUMAN AND NATURE』に向けての制作が進む。

今回はどんな作品を展示するのでしょうか?

会場は大きく二つの空間に分かれています。一つ目は、絵画やドローイング(注1)、ミクストメディア(注2)、立体など、これまで発表してきた作品の延長線上にあるものを見せる、小部屋のような空間。もう一つは大きな空間にモビールのように作品を吊り下げ、歩き回りながら全貌を把握してもらうものです。外光による表情の変化や、窓の外に見えるビルとの呼応も含めて味わえる空間で、これは僕にとっても初めての試みです。

注1:線やトーン、色などを使って絵や図を描く行為や技法

注2:二種類以上の画材・技法・素材を組み合わせて表現する技法

《Wooden Wood 245》2026 年 ©Yuichi Hirako photo by Osamu Sakamoto
《Wooden Wood 254》2026 年 ©Yuichi Hirako photo by Osamu Sakamoto

モビール形式の新作は、どのような意図でつくられたものですか?

人間と植物は生き物としては別のものですが、地に足が着いているという点では同じなんですよね。新作で意図しているのは、この共通点をあえて外して、浮いた状態で存在させてみることです。そうすることで、人間と自然の関係を見直すような装置になるのではないかと思っています。

「これなら僕でもできる」 子供と大人のアートの受け取り方の違い

平子さんの作品は多くの問いかけを含んでいる一方で、色彩豊かで、頭部が樹木で、身体が人のようなモチーフも登場し、子供たちにとっても親しみやすいのではないかと感じます。

そうかもしれません。ただ、一方で僕の作品によく登場する人型のモチーフは、怖がって泣く子もいるんです。おそらく、このモチーフを肯定的に受け取れるのは、あらかじめ「自然は美しいもの」「植物は癒し」という教育を受けてきた人なんだと思います。

作品に登場するモチーフ。「植物の頭を持つ人、もしくは手足の生えた植物、みなさんに自由に捉えていただければと思ってます」と平子さん。

そう言われると、たしかに不気味なものにも見えてきました。子供と大人とでは、アート作品の受け取り方に違いを感じますか?

かなり違いますね。特に日本を含むアジア圏の大人は、目の前に提示された作品を「完成品」「正解」と受け取りがちだと感じます。でも、つくり手としては、そんなつもりはまったくないんです。もちろんその都度全力で作品と向き合ってかたちにしますが、そこに価値が生まれるのは、人に見られたあとのこと。

さらに言えば、10年、20年、100年と経つうちに価値は変化しますから、作品は常に「途上」のものなんです。一方、子供は、大人のように「すばらしい完成品を見せてもらっている」というよりは、「なんだかよくわからないものを見てあげている」くらいの感覚で、「気持ち悪い」とか「これなら僕でもできる」とか、率直な感想をくれます。

アートは問いであり、考えるための材料

大人になるうちに、アートへの向き合い方が変わってしまうのはなぜなのでしょうか?

一番は教育だと思います。アジアの美術教育は、鑑賞よりも自分で描くことが中心で、しかも、写実的か非写実的かで優劣が決められてしまいがち。そのうちに「描きたくもない絵を描かされる」「正解とされる写実的な絵が描けない」と苦手意識を覚えてしまうと、アートは「距離を置きたいもの、よくわからないもの」になってしまいます。

欧米は違うのでしょうか?

欧米のいわゆる先進国では、鑑賞をメインにしているケースが多いんですよ。そこから自分が何を感じるか、つくった人は何を思ってこれをつくったのか、いろいろなことを考えていく。そしてその自分なりの受け取り方はどれも正解で、リスペクトされるべきものとされます。アートはあくまで、鑑賞者が何かを考えるための「問い」「材料」にすぎません。アートを「正解」「完成品」とみなす考え方とは、ここが大きく異なります。

平子さんの実感として、子供が本来の自由さを保っていられるのは、何歳くらいまでだと感じますか?

僕の感覚では、5歳がラインです。過去に子供向けのアート教室をお手伝いしていたことがあるのですが、このくらいの年齢を過ぎると、線一つ引けなくなってしまうんです。「どう描いたらいいか教えて」と言うので「好きに描いていいんだよ」と返しても、「上手に描きたい」と言う。「上手ってどういうこと?」と聞くと、「写真みたいに」と答える子もいるんです。

すでに、写実的であることが正しいという基準を内面化してしまっているんですね。

そうなんです。学校や親の教育が子供に与える影響は大きく、勤勉な人や学力の高い人を「役に立つ」とする社会の構造から自由でいるのはとても難しい。「役に立つ」かどうかにかかわらず、自分の感覚を信じて何かをやるのは、本当に小さい頃にしかできません。だから、幼少期、まだその自由な心が残っている段階で、その一部を残して育ててあげることが大事だと思うんです。

「子供に聞かれたら答えなきゃ」と気負いすぎなくて大丈夫

自由な心を育ててあげることの大切さはどんなところにあると思いますか。

子供が自分自身を肯定する力、自分の道を見つける力を育むことにも繋がると思います。「お金がある」「社会的に成功している」といった既存の尺度に左右されず、自分にとって何が幸せかを考えられる力を、アートの持つ自由さが育ててくれるのではないでしょうか。

子供の自由な心を育むために、どんな文化体験をさせてあげると良いでしょうか?

子供がまだ小さなうちから、いろいろなものを見せてあげるのがいいと思います。そしてその解釈を本人にゆだね、「あなたの持つ意見を大事にしていいんだよ」と伝えてあげること。やっぱり、親が自分の解釈を伝えてしまうと、子供にとってはそれが「正解」になってしまうんです。だから、わからないものはわからないまま提示するのが一番いい。「これ、なんだろうね。あなたはどう思う?」と。

親としては、つい「きれいだね」「面白いね」などと言ってしまうことも多い気がします。

そうですね。それもまた「自分が感動した気持ちを伝えたい」という親の思いですから、否定しすぎなくていいと思います。ただ、「子供に聞かれたら答えなきゃ」と気負いすぎなくて大丈夫。「私もわからないけど、一緒に何かを感じてみない?」で十分なんです。

よくわからないものが堂々と存在していて、それでもいいんだという発見

『HUMAN AND NATURE』の会場では、子供たちにどんなふうに作品と向き合ってほしいですか?

気になったものを、じっくり見てもらえたらと思います。今回は、本展の企画・監修を務めるGO FOR KOGEI アーティスティックディレクター・東京藝術大学名誉教授の秋元雄史さんの提案で、9月12日(土)には子供向けのワークショップも開きます。まず会場をまわって、気になるモチーフを見つけてもらう。それを登場人物にして、自分なりの物語を自由にふくらませ、それを1枚の絵やコラージュ作品として仕上げてもらうというものです。まさに、子供自身の解釈や想像力を大事にしてもらうワークショップにできたらと考えています。

最後に、この展覧会を訪れる子供たちへ、メッセージをお願いします。

そうですね……たくさんの人たちが関わって、すごく頑張ってこの展覧会をつくったから、なにか意味があるかもしれない。それを見た時に何を感じるか、考えてみてほしいです。

「ビルは人が住むため、働くため」「車は移動するため」とか、世の中に存在する大抵のものには目的がありますよね。でも、この展覧会には明確な目的はありません。展示されている作品も、解釈に「正解」があるわけでもない、なんだかよくわからないもの。でもそこにはたくさんの時間と苦労が注がれていて、大勢の大人が関わっている。よくわからないものが堂々と存在していて、それでもいいんだということに、気づいてもらえたらうれしいです。

平子雄一(ひらこゆういち)

現代美術作家

1982年生まれ、岡山県出身。東京を拠点に活動。2006年にイギリスのウィンブルドン・カレッジ・オブ・アートの絵画専攻を卒業する。植物や自然と人間の共存について、また、その関係性の中で浮上する曖昧さや疑問をテーマに制作を行う。観葉植物や街路樹、公園に植えられた植物など、人によってコントロールされた植物を「自然」と定義することへの違和感をきっかけに、現代社会における自然と人間との境界線を、作品制作を通して追求している。

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